昭和46年08月15日 特別奉修委員


 (?)丁度あのボーリングなんかやってまして、あのボーリングっていうのは、なかなか、あれだけ全身を動かしますから、健康にも非常にいいようですね。ゴルフをするぐらいな、健康にもいいという。同時にやはり、大変やはり面白いものらしいですね。それであの、全国でどれだけのボーリングをやっておられる、ところがあるかもしれませんけれども、これも先月、あの銀行の方が見えてから、あの話を聞いたんですけれども、銀行がボーリングを、始められるための資金なら、なんぼでも出すんですね。
 何千軒あると登記に出てるのは、一軒も赤字のとこがない。だから資本さえあれば、ボーリングがもう絶対儲かるて言う事ですね。けど大変なお金が掛るものらしいです。私共信心さして頂く者も、やはり健康にもなりゃ、面白うもある、金は要るけれども。( ? )ですね、まあどれだけお道の教会があるか分かりませんけれど、ほんとにその信心が自分の心次第である。
 自分の信心の姿勢次第でね、おかげが受けられるって言う事を極めて、いく教会が沢山あってね、したらもうごひれいが立つ教会ばっかりになるだろうと思うですね。(こういうの信心が繁盛しておれん)これだけの例えば、( ? )信者が、まああるかは知りませんけれども、そういう信者が、もうとにかく自分の姿勢、同時に信心がいわゆる健康の上にも、又はあの面白うもあると。ね。
 とにかく信心しておかげを受けていくと言う事が、楽しゅうして面白ろうしてね。(  ?  )有り難うしてと言う様にですよ、あのなってまいりましたら、もうほんとに、金光教の信心しよるもんなら、いくら金貸したっちゃよかってことになるでしょうしね、金光教の教会なら、いくら金貸してもよいと言う事でしょうけれども、実を言うたら、あのこれは金光教に限らないことですけれども、金を貸す対象としては一番、宗教関係が、今まあ貸さないという、いわば方針らしいですね銀行が。
 ですからなぜかというと、そのボーリングのようにより面白かったり、健康のためにもよかったり。と言う様ないわば、あのお客さんがね増える。しかもそういうそのまあ言うならば、何て言うんですかね、健康的な遊びとでも申しましょうかね、ですからその銀行が何千軒あるかしらんけれども、ボーリングのためと言う事には金を出すと言う事。(微笑)。まあそれは本当なことかどうか分かりませんけれどもね。
 けれどもあのそういう、だから私ども金光様のご信心をさせて頂く者は、信心がね、まず自分の姿勢に如何に。例えば、ご祈念するでしょ。例えばこんなことしてご祈念しとる人がありますが、こんなことじゃ、神様は絶対おかげくださらん。まあ私どもまあひょっとして、まあこんな場合の時もある。神様の何の受け答えもない時、ハッと気づかせて頂いて、もう頭すりつけたとたんにお知らせ下さるのですからね。
 先生一人ですよ、神様と交流するのはね。同時にその信心が、ほんとに楽しいもうこよなく有り難いもの。しかも心次第でおかげが受けられるんだと、確信が持てれるようなご信者さんにならね、神様どれだけ貸し付けして下さっとも良いと言う事になるのじゃないでしょうかね。今日ボーリングと信心ではないですけれども、同じ様な事が言えると思いますね。
   どうぞ。